喜界島
基本情報
面積 |
59.93平方km |
海岸線長 |
48.6km |
最高標高 |
214m |
主要都市 |
喜界町 |
概要
隆起性サンゴ礁の島で全島ほとんどがサンゴを起源とする石灰岩で出来ている。約12万年前に島として現れたと見られ、現在も年間約2mm隆起を続けている。
古代では大宰府と密接に繋がっていたことが、文献上、記録されている。『日本紀略』長徳4年(998年)の記述として、大宰府が喜界島に対して、暴れ回っている南蛮人を捕えるように命じている。
ここで記述されている「南蛮人」とは、西に位置する奄美大島の島民を指しているものと考えられ、『小右記』長徳3年(997年)の記述から判断されている。また、長徳5年(999年)に大宰府が朝廷に対して、南蛮人を追討したと報告していることからも、喜界島には、それだけの機関や勢力が存在していたと考えられている。これらのことから、奄美大島人と喜界島人が区別されていたことがわかる。
9世紀から15世紀にわたる城久遺跡群からも、白磁器やカムィヤキ土器など、島外の遺物が多く、南西諸島の中でも独自性が強いとされる。
中世以来、琉球王国や薩摩藩など、周辺の大勢力の支配を受けてきた。
古代から中世にかけて流刑地として存在した鬼界ヶ島をこの島に比定する説が古くから唱えられているが、喜界島は火山島でないため逸話との齟齬があることから硫黄島とする説も有力視されており、結論は出ていない。
島内には『平家物語』において鬼界ヶ島に流された逸話で知られている俊寛の像が建てられている。
みどころ
奄美十景の1つ、百之台公園を始め、白い砂浜とコバルトブルーがひと際美しいスギラビーチやハワイビーチ、古くから残るサンゴの石垣など数々の名所があります。